宮田製フレーム
に乗るヴィネン

ミヤタは’74年頃からヨーロッパのレースを通じて、多くのフレームデータを
得ており’80年からはコガ・ミヤタは、プロチーム”カプリゾンヌ”に
国産・宮田製のフレームを使用したそうです。
この年カプリゾンヌはレースでも好成績をおさめ
ワールドカップランキング1位に輝きました。
これらのことはヨーロッパでは大変注目され、MIYATAは世界の一流ブランドとして
認められるようになりました。

'79年 ミヤタがオランダのKOGA社との契約ブランド「KOGA−MIYATA」を
ベルギーのプロチーム’アイスボルケ’が使用することになり、沼氏は梶原氏に
フレームを製作依頼しました。
これは梶原製のフレームがヨーロッパの一流プロ選手たちに使われ、過酷な条件の
ベルギー、オランダ、北フランスでも十分に通用した事を証明する出来事でした。

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1970年頃のE・メルクス
(カジワラ号は、当時のファエミノチームのイメージを参考にしました)

外見でよく分かるのはラグのカットで、ただ単に外国製のコピーではありません。
強度と美しさを追求したカットは、梶原氏独特のかたちです。
パイプについても当時選手の力量に合わせ、531やコロンバスのパイプを
ミックスしたり、セットになっているパイプはそのまま使わず、
数セットの中からパイプの強度を選んで使用していました。
商売としてはまったくの赤字ですが、多くの選手達から信頼を得て、
オリンピック候補選手や学生、実業団チームなどのオーダーが多く、また自らのブランドを
持たなかったこともあって、一般的にはあまり見かけることは少なかったようです。

梶原利夫氏は、1960年代から80年代に数多くの
すばらしいフレームを製作したビルダーです。
ここに紹介するフレームは1970年製、梶原氏の特長が見られるフレームです。

60年代といいますと、日本ではまだまだ完成度の高いフレームはあまり無く、
1964年の東京オリンピックでヨーロッパの選手が持ち込んだレーサーの
美しさは目を見張るほどでした。
特にイタリア製レーサーは、憧れのカンパニョロの部品に
美しいフレームがマッチしとても格好良く見えました。

この頃梶原氏は、東京・本郷の老舗 土屋製作所(エバレスト)で
フレーム職人として腕を磨き、その後梶原製作所を設立しました。

梶原氏のフレームについて注目するところは、徹底的にヨーロッパのフレームを
研究、分析し、その美しさ、強さなどを解明して自らのフレーム作りで
かたちに表したことだと思います。
特にこの時代、これだけの研究をすることは大変なことで、
氏の天才的な才能がうかがわれます。


KAJIWARA
―THE MIYATA―

ここに紹介するロードレーサーは、丹羽 忠氏のコレクションのひとつで、
今回、氏のご厚意により載せさせていただきました。  所有者 丹羽 忠氏

このロードレーサーは1977年製の’ザミヤタ’です。
当時宮田工業に勤めていた、沼 勉氏(現ランドギア・インターサイクル社長)が
’78年ドイツ・ケルンショーに出展するため、特別に製作を依頼した梶原製のフレームです。
梶原氏はケルンショーのために2台のフレームを製作したそうで、これはそのうちの一台です。

日本製をアピールするため材料は国産ですが、ラグ3点はカタチへのこだわりから
チネリプレスラグを使用、フォーククラウンにもチネリ製を使ったそうです。
仕上げは非常に手が入っていて、スペードの肉抜きは手仕事で全体に梶原氏の特徴が
よく現れている完成度の高いフレームです。
沼氏は早くから梶原氏の製作技術を高く評価していて、当時「日本がヨーロッパの
サイクルショーで対抗できるフレームを作れるのは梶原氏しかいない」との理由から、
製作を依頼したそうです。
また国内サイクルショーの特別車やミヤタレーシングチームにも梶原製フレームを
使用していました。

アイスボルケチーム

梶原製フレームに乗るアイスボルケの
エース ダニエル・ヴィレムス。

1973年ミヤタがベルギー・メルクス社との契約をまとめるため
E・メルクスを訪れた沼 勉氏(右はケッセル氏)


カプリゾンヌチーム

’81年ツールで新人賞を獲得したカプリゾンヌの
ピーター・ヴィネン(右から2人目)